Yuka

99_一般
Yuka

病名痙攣性発声障害  過緊張性発声障害 
治療方法 / / /
活動エリア

あなたにとってSDCPとは?

救世主


SDCPに入会した理由

SDCPを作ってくれた人や、発声障害が広く認知されるように頑張ってくれている人へ感謝の気持ちを込めて、その活動の支援がしたいと思ったので、入会しました 。


自己紹介

発症したのは19歳。発声障害だと診断を受けたのは22歳。自分の体と相談しながら、ゆっくりと治療を続けています。今は会話が成り立つくらいに喋れます。
よく寝るし、よく食べるし、よく笑います。


つらかったこと

人と喋るのが大好きだったのに、人を見るのさえ怖くなり、声を出さなくても生きられる世界に行きたいと思ってしまったこと。/ 首絞められながら喋っているようなものなので、苦しくて苦しくて、とても論理的に物事が言えず、ただ頭が悪い人だと思われているのではないかと、悔しくてしょうがなかったこと。/ 病院に行っても、お医者さんが発声障害を知らないので、「のどに異常なし」と相手にされなかったこと。/ 注射をしたので、割と音痴になったこと。/ 高い声が出せなくなったこと。/ 注射をすると、痛すぎて一瞬意識が飛ぶこと。/ いい感じのツッコミやボケが思い浮かんでも、声が出ないのがわかると、言うの我慢すること。/ 自分が何も言えなくても、会話がどんどん進んでいくこと。/ 「おはよう」「ありがとう」が言えなかったので、非常識な人だと思われているのではないかと、毎日不安だったこと。 / 大丈夫なのかと思うくらい、毎日喉がとても痛かったこと。/ 電話が大嫌いになったこと。/ 「暗く見えるよ」「人見知りだね」と、いままで無縁だった言葉をかけられるようになったこと。/「明るくて元気な私」を知らない人が周りにたくさんいたこと。/ 感情なんて無くなってしまえと思っていたら、笑えなくなってしまった時期があったこと。 / 気軽に喋りかけられること、友達とお昼ご飯を食べること、話し合いをすること、雑談をすること、挨拶をすること、すべてが苦痛だったこと。/ 声を笑われたこと。/ 人前で堂々としゃべれていたのに、もうできなくなってしまったこと。 / 式典の練習で、「はい」という返事のやり直しを私だけ何度もさせられたこと。/「やる気あるなら、声くらい出せ」的なムードが怖くて仕方なかったこと。/ やる気はあっても、声だけが出せなかったこと。


うれしかったこと

自分が無力になったときにも、手を差し伸べてくれる人がいて、そういう人たちを一生大事にしようと思えたこと。/ 社会に対して障害を持っている人たちが生きていくのは、とても大変なことなんだと気づけたこと。/ 人に助けを求めれば、意外と助けてくれることに気づけたこと。/ たくさんの人の大きな優しさに触れられたこと 。/ 家族がかけがえのない存在だと気づけたこと。/ 生き続けることが大事なんだと気づけたこと。 / 「毎日、当たり前のように生きていられることが幸せ」と思うようになったので、毎日幸せを感じられること。/ 人前で緊張する人の気持ちがわかるようになったこと。/ SDCPのみんなに出会えたこと。


病気との向き合い方

自分の病気が、ひとつの個性だと思えるように、思ってもらえるように 、周りに頼りながら、自分ができる事は精一杯やるようにしています。


声に悩む人たちへのメッセージ

今まで生きてきてくれてありがとう。よくがんばりました。ここには仲間がいるので、一緒に頑張って生きていきましょう 。


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